Episode2   カナダでの生活

 

              
                   ナイアガラの滝

     〜サマータイム〜

カナダにはサマータイムが導入されている。

サマータイム制度とは、日の出時刻が早まる時期に(初夏〜秋頃)、時計の針を1時間進め、夕方の明るい時間を増やし、日の出から1日の活動開始までの太陽光を有効活用できない時間を減らすというもので、この制度を導入している国も多い。

このシステムを知らないわけではなかったけれど、当時はまだテレビやラジオを持っていなくて情報不足?だったこともあり、気付くことなくサマータイム実施日を迎えてしまった。

朝、いつもと同じ時間に出勤すると皆はすでにあくせく働いていた。(おお?今日はみんな早いなあ、予約注文は無かったはずやけど?)と思いつつもいつも通り「ハロー」と声をかけてみた。
しかしなぜか従業員のみんなは怪訝そうな顔でこっちを見る。
その時は「なんや皆今日は機嫌悪いなあ」と不思議に思ったがそれもそのはずだ。

すでにサマータイムが導入されていたので僕は一時間も遅刻をしていたのだから!

あとから考えると本当にみっとも無かったなあと思うがこの時点でもまだ遅刻していたことに気付いていなかった。

ジョンジャックは僕を見るなり「オー!遅刻か?えらくなったもんだな、あぁ?」と顔を赤くして怒鳴った。接客の人達も手を止めてこちらを見ていた。

僕としてはいつもと同じ時間に出勤していた(つもりだった)ので訳がわからず「いきなり何言ってるんですか!まだ出勤時間になってないでしょう!!」とビシッと壁にかかっている時計を指して言ったが、我が目を疑った。なんとまだ11時半ごろのはずがもう昼の営業時間がとっくに始まっていて12時半を過ぎていた。

何がどうなっているのかわからず放心状態になったがすぐに「あ、し、しまった。まさか今日からサマータイム?」と悟った。
当然のことながらお店の時計は朝一番に出勤した人が一時間早めてセットしていたのだろう。

一瞬の沈黙の後、みんながドッと笑った。ムスタファが大声で言った。「Welcome to Canada!!」

  
  〜買い物〜

                                       巨大ショッピングモール イートンセンター

サマータイムの件もあり、ニュースに敏感になるため、また、映画も見たいと思っていたので、休日にテレビとビデオを買いに行った。

英語の勉強にもなるので、キャプション付で見やすいように画面が大きめのテレビを買おうと、電気屋さんを何軒か見て回った。そこで気が付いたのは、アメリカや韓国、台湾製の品もあるが、大半は日本製だということ。日本の電気店で目にするのと同じ風景がそこにはあった。

しかも店員が薦めるのはたいてい日本の製品で、この時は「日本人ってすごいなー。」と心のそこから、思った。
1995年はメジャーリーグで野茂英雄がデビュー、大活躍して、新聞や雑誌の表紙を
飾っていた。
友人のイタリア人のジャンは野球よりもサッカーや  
ホッケーが好きで毎週日曜日にテレビでセリエAの中継を見ていた。
                   
たまたま一緒に見ていたとき、ジェノアに所属していた三浦和良が映っていた。
「カズをどう思う?」と聞いてみると「いい選手だ!うまいと思う。ただ運が悪いな。」
といっていた。
この二人の活躍は海外に住んでいる日本人にとって本当に励みになっていただろう。

      
      〜チャイナタウン〜
 
大都市には必ずあるように、トロントにも中華街がある。
ダウンタウンの中心に位置し、家からも比較的近かったので休日にはよく食事に出かけた。
同じ中華でも中国系、台湾系、香港系と微妙に味がちがうと、台湾出身のルームメイト、アイビーがよく言っていたが、中国の人が作る本場の中華は味が濃く、美味い。

 昼飯を食べたあと、チャイナタウンにある日本人向けの雑貨を売っている店に立ち寄り、隔日(週刊?)出版の日本語新聞を買うのが休日の習慣になっていた。

 
 隣の部屋に住んでいたアイビーとしょっちゅう尋ねてきていた彼女の弟アイヴァンと3人で日本と台湾の関係について話したことがある。
 彼ら曰く、彼らのお爺さん、お婆さんの世代には日本語を話す人が少なからずいるそうだ。

「それは大戦中、日本が台湾に侵略した際に日本語を強要したから?」と聞くと彼女は少し驚いた顔をして「日本人はわざと学校で子供たちにそういった歴史を教えないようにしていると聞いてたから、あんたがそれを知ってるとはびっくりしたわ。」といっていた。

いわゆる教科書問題だなと思ったが、日本でも少しは学校で習っていると思うので、
少しお互いの国の教育の見解には相違があるように思った。

 「台湾の人たちは過去に日本人のしたことを恨んでるん?」と聞くと「恨んでいる人もいるし、そうでない人もいる。」ということだ。夜遅くまで話したが、自分たちの世代は戦争での出来事は直接関係はないし、恨みつらみもないけど、お互いの国の過去に何があったのか知っておいたほうがいいね。」といった結論に至った。

 彼らとは休日に中華街で一緒にご飯を食べたり、映画に行ったりした。

映画といえば、トロントでは平日の昼間は普段の半額(確か半額で日本円で350円くらいあったように思います。)
で入れるので、暇さえあれば見に行った。これだけ見に行けば、そのうち英語も聞き取れるようになるだろうと思っていたが、映画の英語は本当に難しく、多少は慣れたがとても聞き取れるようにはならなかった。

  〜ナイアガラの滝〜

夏に友人のタカさんと日帰りでナイアガラの滝へでかけた。大陸鉄道に乗り2時間、壮大な滝が現れたときには猛烈に感激した。

一日たっぷりナイアガラの滝を見物し、夜はバスでトロントへ帰った。

この際、帰りのバスはどこから出ているのかと通行人に尋ねたら「まっすぐ歩いて10分のところにバス停があるよ。」と教えてくれた。
一応余裕をもって最終バスの来る30分前にナイアガラを後にしたがこれがまずかった。10分、20分と歩いたがあたりはもうすでに夜遅かったので真っ暗で、バス停などありそうにない。
「やられた!」と気付いて慌てて走り出したが時すでに遅し、バスの出発時間はとうに過ぎてしまった。

「どうしようか?」「野宿します?」と2人とも途方にくれたがとにかくバス停まで歩いてから考えることにした。

「イヤー最悪。ついてないわー」「こっちの人は大雑把やなー。どこがあと10ミニッツやねん」などとぶつぶつ言いながらさらに歩くこと20分、遠くにバスらしき車のテールランプが見えた。「おお!?あれは?もしかしてまだいける!?」と走って、無事に最終便に間に合った。
結局、バスの時刻表が変わっていたのか、それともバスの運転手も時間に対して大雑把だったのかはよく覚えていないけど、その後タカさんと会う機会があると必ずこの時のことを思い出しては話しをする。

ハプニングも旅の醍醐味だと思う。


       〜銀行にて〜

レストランでの給料は2週間ごとに小切手で支給された。
給料日の翌日にはその小切手を持って銀行に行き、自分の口座に入金してもらっていた。

 ある日、いつもと同じように窓口に行き、小切手を受付の男性に渡した。彼はくちゃくちゃとガムを噛みながら仕事をしていた。(うーん、日本の銀行では誰もガムは噛んでへんわな)と些細なことに関心を持ったが、手続きが終わり、男性が「Thank You,Have a Good day]と手帳を返してくれた。

 銀行を出た帰り、何気なく手帳を見てみるとビックリした。なんと入金したはずの金額がそっくりそのまま引かれているではないか!

慌てて大急ぎで引き返し、「Excuse me! look!」と先ほどの男性に手帳を見せると彼はガムをカミカミしながらニヤッと笑い、「Oh− Sorry]と言って何事もなかったかのように今度はきちんと入金した。
(おいおいソーリーじゃないやろっ)とのど元まで声がでかかったが、小心者の僕はそれ以上何も言えず、すごすごと家に引き返した。
                          

台湾の人たちと部屋をシェアして居られたタケさん
宅をタカさんと訪問。




     〜続・レストランにて〜
   
 普段、オーナーのファビヤンは三階のオフィスに居た。
時々調理場に降りてきては、ステーキや魚の焼色が浅い、単価が高すぎる、味が悪い、などと事あるごとに注意をして回っていた。オーナーなので当然なのだが、その言い方がねちっこいというか、皮肉たっぷりなのでその点ストレートに怒るジョンジャックの方がすっきりしていた。

ファビヤンはたまに客席に座り、自身の食事を兼ねて、コックを指名して料理を作らせていたが、あるディナータイムに自分の番が廻ってきた。

自分に課せられた料理は子牛のフィレ肉のソテー、  ソース・オー・シトロンだ。子牛のフィレ肉を薄切りにし、肉たたきで叩いて薄く延ばして塩コショウした後、小麦粉をまぶしフライパンでバターソテーにする。そこにレモンを絞りいれ、作っていたソースを加え、塩コショウで味を調え、お皿にガロニチュールと共に盛り付ける。

 出来上がった料理をウェイターがオーナーに運んで行ったが、しばらくしてウェイターが「おい、味が薄いと、オーナーがおこってるぞ。作り直してくれ。」と皿を持って帰ってきた。

 「自分ではちゃんと味付けしたつもりだったが、薄かったかな?」ともう一度塩コショウし、出した。  すると今度はファビヤンが直々にお皿を持ってきて「oki、塩が足りなすぎる!コクがないぞ。こんなのをお客さんに出してるのか。最初から作り直せ!」と突き返した。

 もう一度作り直したが、今度はええい、このっ!とばかりに思いっきり塩を振った。レモン汁、コショウもかなり利かせたので内心、これはまた辛いと怒られるかなと、びくびくしながら待った。

しばらくしてファビヤンが食事を済ませてから戻ってきて言った。
「oki―。トレビヤーーン!!」

 フランス人は(塩)辛めの味付けを好むと聞いた事があったが、あれは本当だなとその時思った。
しかし、あとから自分で作ったソースを味見してみると納得。自分にしては辛めなのだが確かにコクがある。おそらく辛すぎるかそうでないかのギリギリの味付けなのかと思った。
塩加減は料理においてとても重要な要素なのだと体感した。

熱い夏がすぎ、9月になり季節がすごしやすい秋に変わった頃、自分はこのままでいいのだろうか?と少し焦りだした。

僕が取得していたビザは6ヶ月の滞在が許され、その間は労働許可証も発行されるので働いてもよいし、学校で学んでもよいというワーキングホリデービザだ。6ヶ月が過ぎても手続きをとれば半年の延長が許されるので最長で一年間滞在できる。

カナダに来る前から思い描いていた、レストランで仕事をするという目標は達成できた。その上、英・仏語が飛び交う環境に身を置き忙しく働き、充実した毎日だ。


ヴィクトール

普通ならこれでいいのだけれど自分には一年という限られた期間しかない。もう既にビザの延長手続きをすませ、残りはあと5ヶ月をきった。

このままこの店で一年を過ごすか、それとも違う店へ行こうか悩んだが、やはり違う体験をしたいと考え、店を辞めることにした。

そう決心した翌日まずシェフに辞める意志を伝えようとしたが「また怒鳴られるかな」と弱気になりなかなか言い出せなかった。

ディナータイムに一つポカをやってしまった。
(何をしたのかは忘れてしまいました。)

ジョンジャックは顔を高潮させ「修行時代、俺の同僚は
同じミスをして先輩から油をかけられたぞ!        
YOUもそうされたいか?」ときた。
こりゃ今日は駄目だ、と思ったので、その日は言えずに帰った。

次の日の朝、出勤するとシェフはすでに調理場にいてたばこを一服していた。

    僕 「good morning chef!」

    ジョンジャック(以下JJ) 「Hi,oki」

    僕 「シェフ、話があるのです。辞めさせてもらうこと にしました。」

    JJ 「what?」

それから、僕はあと数ヶ月しか無いので、他の店で働いてみたいということを説明した。
シェフは僕が話している間、黙って聞いていた。

話が終わった後、調理場はシーンとしていた。

僕は怒鳴られるのを覚悟していたがシェフの口から出たのは意外な言葉だった。

    JJ「そうか、わかった。もう次の店は決まってるのか?」
   
  僕「いえ、まだです。」

    JJ「よし、次の店に行くまでに俺の料理やソースの作り方を
     全部教えるからな。オーナーにはもう
言ったのか?」

    僕「いえ、まだです。」

    JJ「なら俺から言っておくよ。」

 この時は、ここまで何とか働いてきてよかったなと心から思った。
  次の日の朝、オーナーに呼び出され、三階のオフィスに行った。

ファビヤン「oki,辞めるのか?」

僕 「はい、短い間でしたがお世話になりありがとうございました。

ファビヤン「相談だが、給料を12・5ドルに上げるのでもう少し頑張ってみないか?」

僕「perdon?え?」

正直、予想外のオファーだったのでビックリした。
それまでの僕の給料は最低の時給8・5ドルだったのでかなり昇給するんだなーと感じた。
提示されたのは何年もここで働いている人たちと同じぐらいの金額だった。
そうか、みんなこうやって成り上がっていくんだなーと思った。

それでも僕の気持ちは決まっていたが、すぐ断るのは失礼だと思ったので即答を避け、翌日に再びオフィスを尋ね丁寧に断りの返事をした。
交渉の末、次の1階のシェフが決まるまで3週間、ここで働くことになった。
やめるまでの3週間で次の仕事を探さなければいけない。

その後は働きながら休みの日に何軒かレストランを当たってみたがそう簡単に空きが見つかる訳はなかった。しかし、前回とちがい、今回はカナダでの職歴があったので、どの店でも話だけは聞いてくれるようになった。    

この時期僕は普段一階の調理場で、たまに二階で働いた。
ル・サントロぺ(一階)は本当に従業員の入れ替わりが激しい所だ。

ある日、出勤すると調理場に新入りの若い、2メートルはありそうな背の高いコックが来ていた。

しかし僕が挨拶すると彼はなぜか露骨に無視した。その後もなにか用事を頼んでも聴く素振りさえない。

どうやら彼はアジア人を軽蔑視していたようだ(後にも先にもそういった人間にあったのは彼だけ)。
しかし彼が2階の調理場で働いた翌日には急に愛想がよくなり、挨拶も向こうからするようになった。

どうやらジョンジャックに何か言われたらしい。
そんな彼も例にもれず数日で姿を見せなくなった。


この国では確かに差別、偏見のような概念は存在するが、それでもちゃんとしなければならないことを
きちんと出来れば、生活に不自由はしない。

一階のシェフが不在のまま数日過ぎたある日、出社したらジョンジャックが「ホホーッ!おまえより腕の立つコックを見つけたぞ!ハハハ!」と階段から小躍りしながら降りてきた。

with Gary

 行ってみると調理場にはすらっとした体格で、鼻の下にひげを蓄えた人物がいて料理を作っていた。

スコットランド出身のガリーという名のその人は動作がとても機敏で、すぐに一階の正シェフとして採用された。

彼は休憩時間に料理を教えてくれたり、休日にはトロントの調理師学校に連れて行ってくれたりと、性格も気さくで男の自分から見てもカッコいい人物だった。

 ある日、彼が思いついたように
「Oki Do You Know Mr,TOM?」と聞いてきた。

僕は 「No,Who Is It?」と聞き返すと、トムとはトモヒロ・イソガイさんのニックネームで、トロントのホテル業界では有名なシェフだと教えてくれた。

ガリーが以前トロントの老舗ホテルのキング・エドワードで働いていたとき、イソガイシェフは副料理長をしていて、イギリスのエリザベス女王や、日本から来た竹下総理(当時)の食事を担当されたということだった。

ガリーは本当にその人を尊敬しているらしく、「トム イズ ゴッド!、日本人なら会ってみるべきだよ!」とイソガイさんの電話番号を教えてくれた。

 そんなにすごい日本人がこのトロントに・・。とにかく会って話だけでもしてみたい。

そう思い、教わった番号へ電話をかけてみると、イソガイさんが調理長を勤めているエンバシー・スイート・ホテルにつながった。フロントの人に「Mr.Tom Isogai please?」とお願いすると調理場に電話をつないでくれた。

 僕 「はじめまして、ガリーさんから紹介していただいたものですが、イソガイシェフですか?」

   シェフ「ああ、聞いてるよ。どこから来たの?」

僕  「大阪です。こっちに来てもうすぐ9ヶ月になります。」

シェフ「そう、よく来たね。今は従業員に空きはないからうちでは雇えないけど、良かったら調理場に遊びに来なさいよ。せっかくだからね。」

僕  「ありがとうございます。!」

と、次の休日にお邪魔することになった。一週間後、早速シェフに会うべく、エンバシー・スイートホテルへ向かった。ホテルはトロントの郊外に位置し、地下鉄終着駅のフィンチで降り、さらにバスに乗り40分ほど行ったところにあった。

近代的な雰囲気が漂うが、懐かしいさも感じる外観は遠くから見ても非常に良く目立つ。
映画バック・トゥ・ザ・フューチャーに出てきた時計台を思い出した。

バスを降り、ホテルに足を運んだ。フロントのボーイさんに案内され、どきどきしながら調理場へと向かった。

 初めて、シェフに会ったときの印象は小柄ながら、とてもエネルギッシュできびきびとした方で想像した通りの人だった。

シェフは手を差し出し、握手で調理場に迎え入れてくれた。
そしてシェフ自ら、ホットセクション(温製料理)、ガルマンジェ(冷製料理)、ブッチャ−(精肉場)、パティスリー(製菓)と広い調理場を順番にそれぞれの部署へと案内してくれた。

 その後、シェフのオフィスへ招きいれてくれた。部屋の壁中、至る所は表彰状で埋め尽くされていて、相当な数のメダル、トロフィーが所狭しと並んでいた。カナダ国内の料理大会での金メダルをはじめ、氷彫刻大会、世界料理オリンピックなどさまざまなコンクールで獲得されたものだ。

冷蔵庫には沢山の調理済みの料理や、食材に混じって、野菜で作った巨大な彫刻があった。
このとき生まれてはじめて野菜の彫刻というものがあることを知った。

僕は驚きつつ、只々感心しながら眺めていた。

しかし、次にシェフの口から出た言葉にはそれ以上にびっくりした。

「実はね、うちのスタッフの一人が怪我をして今休養中なんだよ。もうすぐクリスマスシーズンに入って忙しくなるから一人募集することになったんだが、君、やる気ある?君のビザは残り少ないので研修生としてしか雇えないので、給料は一番少ない額しか出せないけど。それでもいい経験になると思うよ。」

僕はためらうことなく「よろしくお願いします。」と返事し、決めた。

 夕方、ホテルを出て、目の前のバス停へと向かった。
時刻表を見ると一時間に一本しかバスは通っていないらしい。 
トロントの気候は故郷の大阪のそれとよく似ている。
夏はうだるように暑いが、春、秋はとても過ごしやすい。しかし、冬だけは別だ。寒さが厳しく、雪が降り積もる。

そのときは九月で外気は気持ちよく、時折通る車の音と向かい側の池で遊ぶ白鳥の鳴き声だけが響く。本当に静かなところだ。なんとなく現実ではない気がして、不思議な感覚だった。

 バスを待つ間、いろんなことを考えていた。まずマッセルズ・ビストロへ行って、辞めることを告げなければいけない。
ジャックの店へも行って報告しよう。
仕事に集中しやすいように、この近くに引っ越そう・・。考えている間にいつの間にか、うとうとしてしまって、気が付くとバスが近くに来ていた。

とにかくあと3ヶ月、目いっぱい頑張ろうと気持ちを新たにバスに乗り込んだ。

マッセルズビストロでの最終日、ジョンジャックが「いいコックだとはまだまだいえないがお前はグッドワーカーだ。頑張れよ。」と初めて誉め言葉をくれた。
これまで彼が厳しかったのは
、僕と同じように、ジョン・ジャックも若かりし頃、異国にやってきて働くことの大変さを、身を持って示してくれていたのかもしれない。

ウェイターのジョンとムスタファが餞別にと、フランスで人気のあるアニメのキャラがプリントされたT-シャツと、ピーターメイル著の「南プロバンスでの12ヶ月」とその続編の2冊に彼らのサインと(がんばれ)の意味を込めたフランス語の一言を書いてプレゼントしてくれた。                


ジョンとムスタファ 2Fバーのカウンターにて

彼らの粋なはからいに熱いものがこみ上げてきた。

                第三章へ 続く           旅のページへ