美奈吉(みなよし)・名前の由来
私の父は昭和15年広島県因島市生まれです。中学を卒業した時、父母(私のお祖父さん、お祖母さん)に「手に職をつけたほうがいいよ」と薦められ大阪に来て、北区にある寿司屋さん「美奈吉」に就職したそうです。
10年程勤めたあと、全国放浪の修行の旅に出ること数年。
再び大阪に戻り、今も天王寺にある「フグのずぼらや」に就職。
当時、北区のお寿司屋さん「錦寿司」の娘で父の仕事を
手伝って、寿司を握っていた母とを引き合わせてくれたのが
「美奈吉」のお祖母様だということです。
そして当店の「美奈吉」という屋号は、父が独立する際に
北浜にある「美奈吉」さんから頂いたのです。
ということから、箸袋には 「本店・大和田店」と
2つのお店が記載されていました。
しかし、本店が閉店されたこともあり、2006末には
ここ数年、私の希望であった「寿司ビストロ 美奈吉」に
箸袋も作り変えました。詳しくはこちらに※
父は平成10年に亡くなりました。ですがいまでもきっと天国で私達の仕事をハラハラ?しながら見守ってくれていると思います。
母は中学をでてからずっと寿司ひと筋40数年、まさに職人で
巻物などは私よりずっと速いのです。宅配の達人でもあります!
カラオケ大好きな母がこの度サンテレビに登場 こちらをどうぞ

美奈吉開店2年目・旧店の入り口にて

平成3年・店のカウンターにて
平成11年10月7日に店舗を
少し駅から離れたところへ移転。

スタッフは母、嫁さん、妹(時々)そして私。
今のお店の規模で、納得できるお料理、サービスをご提供するには
家族での経営がベストだと思っています!
ゆっくりくつろいでもらえる家庭的な雰囲気のお店にしたいと思っています。
少し前の?写真ですのでちかじか取り直します・・・。
こだわりたいこと
弊店は大阪府門真市というところにあります。
ここは特に「これ」といった海産物の取れるところでは
ありませんが今の時代、流通が発達していて魚の旬がすこし
ずれていても良い食材は手に入ります。
しかし!
産地や季節も勿論大切ですが、それよりも今、
私の目の前に現れてくれた魚一匹、野菜一束をいかに大事に、
そしておいしく調理できるかということを
毎日食材とにらめっこしながら考えています。
お寿司の長所はずばり、美容と健康に良いということだと
思います。
そして見て楽しみ、食べて楽しめる。
これもお寿司のすばらしさです。
にぎり一人前に例えますと・・・・
鮪の鮮やかな赤、烏賊の透明な白、かんぱちのきらきらと
輝く黄金色(!?)、卵焼きの黄色、鰻のおいしそうなこげ茶色
サーモンピンクと称されるサーモンの美しいピンク色など
すべて自然の色なんですね。
これだけ自然の恵みの美しさを
そのまま表現できる料理は、世界中さがしても、おそらく
お寿司だけです。
片やフランス料理は中世の時代から、つまり千年以上の歴史を経て
現在も進化し続けている、伝統に裏打ちされた料理です。
オードブルやデザートの美しい盛り付けはお皿を眺めるだけで
わくわくします。
そして身は料理に、骨はソースにと、食材を余すところなく利用し
自然の恵みを無駄にすることなく、効率の良い料理を作るのに
長けています。
私は短い間ですが両方の料理に携わることができ
本当にうれしく思います。そして自分で店をやれるからには
自分にしかできない、美味しくて楽しい料理を作って行きたいと
思っています。
ご来店くださったお客様に「ああ、今日はここへ来てよかったなぁ」と
喜んで頂けるように一皿一皿、丁寧にお作りすることを心掛けていきます!
作者の履歴
高校卒業後
1990’ 藤田観光(株) 太閤園入社
1994’太閤園料理コンクール 最優秀賞受賞
(料理に関して頂いた賞はこれだけ・・(泣)
しかし当時の最年少記録だった(ハズ)!)
ちなみにお店に飾っている数多くのトロフィーや盾は
全部母がカラオケで獲得したものです。(汗)
1995’ カナダ マッセルズ・ビストロ&ル・サントロペ
エンバシー・スイートホテル
詳しくはこちらへ
1996’帝国ホテル大阪(契約社員オープニングスタッフ)
1997’西洋料理ヴァンテアン
1998’〜美奈吉
1999’ 美奈吉が現店舗に移転
私の寿司修行は洋食調理に8年携わった後、実家美奈吉にて「ゼロ」からスタートしました。
お店に入り、兄にお寿司を半年間学び、数ヶ月後には店を継ぐ形でお客様に
お寿司を作らせて頂くようになりました。
事情があったとはいえ通常、お寿司屋さんに入りたった半年で
お寿司を握るなど、とても許されることではありません・・。
私はお客様にここまで育てて頂いたも同然だと思っております。
初心忘れるべからず、肝に銘じて頑張っていく所存です!!
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